大地震の惨状が17日の夜明けとともにテレビ、ラジオ、新聞で大々的に報じられ始めた。私たちが見る初めての体験でただただニュースに見入るだけだった。
1月19日に山田和尚氏から電話が入った。「いま神戸に居る。明日から炊き出しを始めるから。応援して欲しい」。 すぐに食材費としてストップ・フロン愛媛の会費から10万円を送付した。20日再び電話が入った「食材費がたりない支援頼む」。
ストップ・フロン愛媛の仲間が1年かけて集めた資金が100万円ほどあった。仲間に了解を得て全額送った。20日山田さんからさらに電話が入った「避難所に居る老人を60人ほど救出しに来て欲しい!。松山への第一便で救援のモデルを作りそれを全国に救援をアピールして欲しい」。
大変な依頼内容だった。資金はもうない、自分の仕事がある、仲間の手がいる、宿舎の問題などと考えると困難なことばかりだった。
「少し時間をください」その場では返答出来なかった。宿舎さえ決まれば何とかなると考えて松山ユースホステルの平野氏に電話を入れた。平野氏はあいにく会議で東京だった。連絡先を聞いてすぐに電話を入れた。「いいですよ2ヶ月くらいなら全室あけて60人のお世話をします」即答してくれた。
折り返し神戸の山田氏に「松山への計画受け入れOK」を連絡した。何が起こるのか、何日かかるのか全く五里霧中だったが『もう後には戻れない』ことだけは確かだった。
そのあと具体的な打ち合わせに入った。松山への避難者の移送は25日、医師と看護婦が必要などと次々と具体的な話が煮詰まっていった。
そんなとき次のようなファックスが届いた。
これを読んで感動した。そしてさらに腹が決まった。『全身全霊でやろう!』と。
続きはまた明日・・・・