24日の朝、松山空港を出発することが決まったあと現地との打ち合わせが頻繁になった。その中で次々と問題点が出てきた。
松山へ緊急避難のため搬送しようとしているお年寄りの平均年齢が高く、最高年齢は92才。しかも震災後、避難所で口にしている食事が1日おにぎり一個と水1杯ぐらい、暖房のない体育館に毛布1枚で包まっている程度、体力が相当落ちていることなどが知らされてきた。
■食事は並べば救援物資を受け取ることが出来るが、被災時の着の身着のままで防寒服がなく厳冬の列に並んで待つ体力がない。
■食べると排便のためトイレにいかなくてはならないが避難所のトイレの数が少なく、並んで待たねばならない、しかも水が使えないので川の水をバケツに汲んで流さねばならないなど不便がある。お年よりは食べずに我慢している。
■24日にバスに乗せて松山まで搬送するとしても8時間の乗車に耐えられるかどうか。
一番大きい問題は「もし搬送中に死亡したらその責任はだれが取るのか」ということだった。避難所で死亡した場合は法的に問題はないが、体力が落ちているお年寄りをさらに過酷な状況において死亡させた場合は必ず非難の声があがる。それを誰が受け止めるのか、説明するのか。ここまでの問題になると私たちの範疇を超えていた。
山田和尚さんが国会議員を動かして政府の決断を仰いだ。当時の五十嵐官房長官から『この計画の全責任は私が責任を持つ』との確約を国会議員を通じてあった。
大阪へ出迎えに行く4人とは別に、松山ユースホステルで受け入れ準備をする仲間に後のことを協議した。避難者の受け入れは初めての体験だが60人の旅行者を宿泊させることだけを考えれば松山ユースホステルの日常のことだからその面では安心感があった。
そして24日朝の飛行機で4人は松山空港を出発した。 後は明日・・・・・