9月21日の「運がよい人 わるいい人」で書いた柳生家の家訓の極意は、みんな同じようにチャンスを与えられているが、それに氣がついて生かせるかどうかの違いだ、ということでした。
『チャンスは、必ず自分の前を通る』そのとおりです。
私と『氣』の出会い、ご縁は、ある週刊誌の記事でした。1988年でした。
手が熱くビリビリする
手から意識が離れない動作
「手」が独立して能力をもつ
『西野流呼吸法』の紹介がありました。「手は第二の脳であり、あらゆるものを感じ取ることができるセンサーの役目をもっている」から始まった説明にはビアニストを例に挙げて「ピアニストも最初は音感やリズム感、運動神経などでピアノを弾いている。ところがそれを越すと、手が独立した動きを行うようになる。手自身がある能力を持つ。 この手にエネルギーを送ると、脳の働きをし、頭脳は休まる。これによって頭脳で使用されるエネルギーを身体にめぐらせ、からだの活性化をはかるのです」
さらに「これを西野流呼吸法の【天翔】でみると、普通、うしろに反って手を広げると、息は吸うものだが、西野流では吐く。肩、肘、手首の三節のあいだには、腱があり筋肉があるが、一般運動ではこれを収縮させてしまう。テニス肘はその典型で、筋肉を使いすぎ、腱を柔らかくすることを忘れている。これでは柔軟性に富んだ手には、まずならない。
西野流では息を吐きながら、この三節を中心にねじり、十分に伸ばす。伸びたからだは”氣”が非常に通りやすくなり、結果的には手だけでなく、身体全体にも”氣”をめぐらすための動きとなっている」
とあり高弟の由美かおるさんがモデルで【呼吸法天翔】の美しい写真が掲載されていた。
私はこの記事から【呼吸法】の真髄を読み取りました。しかし訓練をするには、宝塚にある関西道場か東京の本部の門を叩かねばなりません。私には時間の余裕が全くありませんでした。
『独学』しかない『自分でやるしかない』そう決意して書店に出向き、氣に関する本を購入し、片っ端から読みました。いろいろな先生が書いている本の中に共通点を見つけ、それを実践するにもっとも気品があり信頼性のある一冊を選び、それを手本にしました。
私の 『手が熱くビリビリする』その体験の旅が始まりました。
手当て、手探り、手ほどき、手本・・・そうです本当に手の本になりました。
以下、明日の第二話で