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2011年 01月 26日
△ 国会が始まった。やっぱり酷会だ。冒頭から相手批判の打倒民主党しか目にないようだ。
『ちょっとだけでいいからこっち向いてよ!国民はこっちだよ』と言いたい。 テレビをつけても国会中継を見ると何故か腹立たしくなる。国会議員の人材不足は今に始まったことではないが年頭から絶望的な政界運営の暗雲予想が感じられる。 日本にはこんなに素晴らしい人間がいた。人間の尊厳・品格かくあるべきだという人をご紹介したい。もしも東芝の会社と従業員との関係と同じように、政府と国民とが本気になったら日本は再建復興されて世界一の国になること間違いなしだ。 ■「チャレンジ・アンド・クイックレスポンスで行く」 川村真二 働く意味 生きる意味より 昭和40年(1965)、5月の平日、午前7時半、東京の東芝本社ビルの玄関に一人の老人が入って来た。 訝(いぶか)しく思った守衛が「どなたでしょうか」と尋ねた。 「今度、東芝の社長になりました、土光というものです。どうぞよろしく」守衛は驚き、恐縮した。前社長は10時頃出勤していたし、また、人にこんな丁寧な挨拶をされたことがなかったからだ。 会社を守る守衛に感謝の気持ちを表すのは当然、というのが土光敏夫の考えだった。このときを遡(さかのぼ)ること約45年、土光は、石川島造船所に技術者として入社した。 やがて、新規設立の子会社に転出し、苦節10年で同社を軌道にのせた。 次いで、ピンチになった石川島播磨重工業(IHI)を再建した。 そして今また、東芝の立て直しを懇望され、68歳の土光は初出勤した。 東芝は自社技術を過信し、殿様商売をして先端技術に乗り遅れた。社内はセクト主義(縄張りや派閥を重んじる考え方)、官僚主義に陥(おちい)り、業績は急降下していた。 土光はたった一人で東芝に来た。普通は懐刀(ふところがたな)のような切れる部下を連れてくる。 しかし、部下同伴は、不用な対峙(たいじ)が生まれやすい、それを避けるため、一人で来た。自分は頼まれて、東芝に雇われ、東芝のために入社したという気持ちだった。 土光はただちに改革を始めた。10時半開始だった役員会を8時半開始にした。7時半から8時半は、社長室のドアを開け放し、一般社員の誰とでも会えるようにした。 社長専用バス、役員専用食堂を壊し、また、役員数に近い秘書数を改め、一人の秘書で全役員を担当させ、女性アシスタントを数人配置した。無駄の徹底排除を開始した。 そして、幹部社員を集めて言った。「社員数6万3000人。東芝には雲のごとき人材がいる。しかし、今は眠っている。今日以後、目を覚ましてほしい。諸君は3倍頭を使ってほしい。 重役は10倍だ。私はもっと働く。失敗を恐れるな。 私は諸君に問題を投げかける、諸君はその答えをすぐに出せ。諸君も、私に問題をなげかけてきたまえ。 私もすぐに答えを出す。問題を投げかけるのがチャレンジ。迅速(じんそく)な応答が、クイックレスポンス。 今日から東芝はチャレンジ・アンド・クイックレスポンスで行く」。問題を隠蔽(いんぺい)せず、開示し、スピーディーに解決する。それが、官僚主義打破、社員のバイタリティー復活、すなわち東芝復活の方法だった。 社長も前線でトップ営業を始めた。担当役員をはずし、各事業部に権限を委譲し、スピードのある行動を求めた。 労働組合にも土光が先に挨拶に行った。かつて組合役員を本社に呼びつけることはあっても、社長が自ら一升瓶を持って挨拶に組合に訪れたことはなかった。 組合は感激した。 土光の社員、重役への要求水準は厳しかったが、やがて、人々はそれに応えるようになっていった。 土光は、全国の工場、営業所の現場を回った。その訪問は、本社の仕事の合間に行われ、 ほとんどは夜行で行き、夜行で戻るトンボ帰りだった。 雨のばらつく姫路工場だった。土光は、工場の庭に集合した従業員に、会社の現状や目標を話していた。 小雨となり、女性従業員は傘をさした。差し出された傘を、土光はささず話をした。雨は本降りになった。 それでも、土光は濡れたまま話を続けた。 それを見ていた従業員は一人、また一人と傘を閉じ、最後は一人も傘をささず、雨にぬれながら、老経営者の話に耳を傾けた。 ずぶぬれの土光が話し終え、車に乗り込むとき、雨の中、女性従業員たちは車に駆け寄り、窓ガラスを叩いて言った。「社長、風邪をお引きなりませんように。私たちも、一生懸命頑張ります」 土光は涙を流し、ガラスを開け、何度も「ありがとう」と応じた。 東芝再建後、土光は経団連会長、続いて第二次臨時行政調査会長に就任、政治家、官僚等の無駄遣いを憤(いきどお)り、「個人は質素に、社会は豊かに」をスローガンに改革を進めた。
by ryugen1944
| 2011-01-26 14:52
| 徒然なるままに
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