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2011年 08月 23日
△ 母がお世話になっている介護施設は1~2階が病院で4~6階に要介護の患者が入所している。ここに入所してからもう6年になる。6年間の間に生命の危機が何度もあった。脳梗塞を起こしたとき、胆道閉鎖で痛みに声を上げながら救急車で専門病院に運ばれた。そうしてそのたびに奇跡的に死線を乗り越えてきた。
その母の様態が8月20日から変化を始めた。体温が40度を超えて激しいおう吐を繰り返すようになった。20日~21日は点滴で熱も下がり、おう吐も落ち着いていた。 しかし昨日また最初の症状に戻り痙攣が見られるようになった。施設長の判断で前回胆道閉鎖で緊急入院した総合病院へ救急車で運ばれた。 救命センターで直ぐに検査が行われ救命センターの担当医師から胆道系の異常と肝臓機能低下を告げられた。発症から3日経過していて全身に毒素が回っている……という説明に始まり、母の年齢92歳を見て「年齢的に手術はは無理です。血圧も90しかなく手術中のリスクが大きい。このままで投薬で可能な処置をすることをお奨めします。あとは消化器専門の医師から説明を受けてください」と申し渡された。 次々と救急患者が運び込まれ騒然として治療室の中で1時間近く待たされた。カーテン1枚で仕切られた隣のベッドに小学生が運ばれてきた。自転車でサッカーの練習に出かける途中転倒し大怪我をしたらしい。4人ほどの医師が処置しながら話している声が筒抜けだ。耳は軟骨が露出!とか頭部打撲あり!頭部CT直ぐに!…などまるで自分が治療を受けているような感覚を受けた。その向こうにも2つベッドがあってそちらもそれぞれに緊急処置を施している。 あの部屋に1時間居ると頭も心も変になってしまう。早く出たいのだが消化器専門の医師の判断がないとこの場所から動けない。待つ間妹は母の手を握り、私は周囲に分からないようにOーリングチェックして氣血の流れの悪い部分に氣を送り続けた。 やがてその先生がデスクに座って検査結果と施設長が書いた入院の紹介状を一読しPCで向かった。2台のモニター画面でデーターの解析と後前回の手術のデーターを丹念に見ていた。そして椅子をグルッと回転させてわたしに説明してくれた。 それによると4年前にこの病院で行った胆道閉鎖手術で挿入した約2ミリほどのパイプが詰まって胆汁が流れていない。前回ほどではないが肝臓の数値が悪く状態は非常に危険だと言う。そして「4年前に入れたパイプがそのままになっていてそのパイプが詰まっています。普通は3か月くらいで詰まるもので取り換えの再手術をするのが普通です。4年間も詰まることがなかったのは驚きです」と嬉しそうな表情で語ってくれた。 そして消化器科のさらに上位の医師に電話をした。「先生NOXXXXXのデーターをPCで観てください。4年前に手術したその患者さんが来ています。手術したときのステントがそのままでそれを取り換えたら胆道機能回復の可能性があります!」そのほか何か詳細を話し合っていた。やがて電話をきって母の今の血圧を測定した。数値は75-115を示した。 おもむろにわたしに「手術にかけましょう!前回手術したときが88歳、そのときよりもリスクははるかに高く、ねじれていたり手術する部分が老化していて途中で止める場合もありますがそれ以外に方法はありません!今日中に手術をします」 そういって手術のための同意書を準備して机の上に並べた。それにすべて署名して治療室から今度は消化器科病棟に向かった。 この日消化器科では先行する手術が2件予定されていて、それが終わり次第母の手術をすることになった。しかしその二つの手術の後というだけで具体的な時間を言ってくれなかった…それでわたしは一度家に帰って店を閉めて再度妻とともに病院へ行くつもりで 病院を出た。 帰ってみると整体の予約は妻が電話で断ってくれていた。明日は町内の盆踊りがあるのでその準備とビールの配達もありそれらの対応を終えたころに病院に残った妹から「今から手術をすることになった」と連絡がはいった。 大混雑する病院の駐車場に入ったときに「今手術が終わった」と再び連絡が入った。 広く複雑な病院の中を探し疲れて病室に入ると麻酔で眠っているが元気そうな母の姿があった。 手術は40分で終わったらしい。あとは母の身体がどこまで反応し回復するかにかかっている。 救命センターの医師は92歳で高齢だからもういいでしょうという感じだった。消化器専門の医師はステント部分の取り換えが出来れば延命の可能性があると専門的な処置を考えた。 その裏には普通3か月程度で交換するステントが4年間も詰まることなく働いていたという驚異的な事実があったからだと思った。そしてその時出逢う医師の命への取り組みによって大きく変わる可能性があることを知らされた。
by ryugen1944
| 2011-08-23 09:05
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