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2012年 06月 17日
*写真は週刊文春6月21日号掲載のもの
週刊誌の内容を整理すると次のような内容に集約される。 ▼ 「こんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています」 ▼ このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しいときに見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本のためになる人間ではないとわかり離婚いたしました。 ▼ 八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が結婚するから引きとれといわれたそうです。それで結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。 ▼ 小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手伝ってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。 ▼ あげく「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。 この言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子たちに支えられ何とか現在までやってきましたが、いまでも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。 ▼ それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本のために役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。 ▼ 三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください」と言うのです。 福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの! なんですぐ岩手に帰らないのか! 内々の情報があるのならなぜ国民に知らせないのか」と聞きました。 ▼ 川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。 国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。 私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。 小沢は「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外へ出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。 ▼ 3月15日国会議員6人が県庁に行き、知事と会談したとありました。 彼らに、「一緒に岩手に行こう」と誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。 ▼ 3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げ出しました。その直後、テレビやマスコミが小沢は何処に行った?こんな時に何をしているのかと騒ぎだし、それであわてて避難先から3月28日に岩手県庁にいったのです。ご存じのように被災地には行っておりません。 ▼ 4月にはいってからも家に閉じこもり連日、夜若手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画を立て始めました。菅内閣を倒して誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この大震災の中にあってなんら復興の手助けもせず、放射能の情報だけ欲しいというのです。 本当に情けなく強い怒りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう。 ▼ 天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りにでかけました。千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚を捨てさせたそうです。 ▼ かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。 長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受けとったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。(中略)本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと感謝しております。ありがとうございました。 小澤和子」
by ryugen1944
| 2012-06-17 02:00
| 徒然なるままに
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