開栓して丸1日のヌーボは、前日とはまた違った風味があって美味しかった。フランスのボルドーで生まれ、松山の空気に触れて新しいパワーに満ちていた。
ワインの栓を抜いたあとの保管方法は、バキュウム式の栓で中の空気を抜いて冷暗所に保存すると殆ど変化なく飲める。バキュウム式の栓が無い場合は、空気に触れる面積を少なくするために瓶を立てて冷暗所に置く。出来れば小さい容器に移して空気と触れる部分を極力少なくすることをお薦めする。さらに栓の部分をラップなどで包み3゜Cぐらいに保つと1週間ぐらいは飲むことができる。
ついでにワインのお話 パート2 ロマネ・コンティについて少し・・・
Remanee-Conti
味、色調、香り・・・・すべての点において完璧といわれるワイン。世界のワイン愛好家が「一生に一度でいいから飲みたい・・・・」と憧れるワイン。
それが「ワインの帝王」とまで呼ばれるロマネ・コンティである。
ブルゴニューの人口6000人のヴォーヌ・ロマネ村でつくられるこの美酒は、ともかく、目の玉が飛び出るほど高い。出来の悪いビンテージでも1本15万円以上するというシロモノである。
なにせ、わずか1.6ヘクタールの葡萄畑から、年間たった7000本しかつくられない。これは、畑が狭いこともさることながら、徹底した葡萄の選別が行われるからである。
こうしてできたロマネ・コンティは、世界の皇族関係者や政財界、エンタータイメント界の著名人たちの手に渡り、一般にはほとんど流通しない。ふつうの日本人で飲んだことがある人は、たぶん数えられるほどしかいないだろう。
時は18世紀のルイ15世のころロマネ村のワインは宮廷でひじょうに高い評価わ得ていた。
当時、ロマネ村で一番いい葡萄畑はシトー派の修道院が所有していた。それが1760年に修道院が撤廃されると、その葡萄畑が売りに出された。
その話が宮廷に伝わると、「ぜひ買いたい!」と名乗り出た者が2人いた。
その一人がルイ15世の従兄弟筋にあたるプランスド・コンティ公。
そしてもう一人が、ルイ15世の愛人だったマダム・ポンパドールである。
2人はさんざん張り合ったが、結局、畑はコンティ公が買い取った。それで、以後、その葡萄畑から出来るワインは「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになったのである。
―博学こだわり倶楽部編 ワイン ―より抜粋
私は夢をいろいろと持っている。その1つはこのロマネ・コンティを飲むこと。それも50万円以上のハイクラスのものである。盗んでも飲みたい願望がある。この地球を離れるまでには必ず飲んでからおさらばしたい。
世界の幻のワインの話はここまでにして日本の幻のワインの話をしよう。
私が昭和54年に脱サラで酒屋を継いで初めに捜し求めて販売したワインが新潟県の「岩の原ワイン」だった。
日本で一番最初につくられたワインで日本を代表する醸造用ぶどうマスカット・ベリーAの生みの親、川上善兵衛が開いたワイナリー。岩の原ワイン赤はなめらかで厚みのある味わい。スペリヨール白は甘酸の調和したやや辛口としてワイン通には評判だった。
仕入れてみたが売れなかった、当時はまだワインを飲む市場ができていなかったし日本酒全盛時代で甘味の少ないワインはまだまだその時代ではなかった。このワイナリーはサントリーが買収して今も「岩の原ワイン」の名称で存続しているはずである。
私が次に巡り会ったのは日本にあった『幻のワイン』といわれる『秩父ワイン』であった。日本に手に入らない幻のワインがある。どうしてもそのワインを飲んでみたい。出来れば販売させてもらいたいとアタックを開始した。秩父ワインの醸造所の創業者浅見源作さん当時93歳。 プロレス大好きな熱血漢の爺さんだった。
そのお話は、あ し た のお楽しみ。