中国の古代の人々は、神の世界の中に人間の生活があると考えていた。漢字の発生は、神に近づきたいという想いから出来たといわれる。
言う・告げるは、人が神に対しての願い、訴え、報告をする神事であり嘘・偽りは許されないことが原則なのである。
言う・告げるに使われる口の意味は、白川説が採用されるまで人の口とされてきた。ところが白川先生の調査により人の口ではなく神事に使用された器(∪型のもの)であったことが判明した。
言は 辛(きれめをつける刃物)+口 ではっきりかどめをつけて発音する
告は 牛が人に口を寄せて何かを伝える
などと従来一般辞書では説明されてきたがこれにたいし白川先生の説は
言は、辛+口で 言は神に誓うことばをいう。字は辛と口とに従い、辛は自己詛盟して、それに反したときに入墨の刑を受けることを示す。辛(はり)、口は祝詞を収める器である。
「直言を言といい、論議を語という」とするが、言は攻撃的な、語は防御的な語をいう。言・語は双声で相対する語、また言・唁・諺はみな同声であるが、それぞれ呪的言語を意味する字である。
告は、告は神に告げ訴えることをいう字であった。相手に告げ伝える。順次に特定の提唱のものに対して伝達することをいう。告げることに媒介者を必要とするのは、特に神事にかんすることであった。
白川静先生が「字訓」、「字統」、「字通」の三部作を完成する以前の日本の辞書は、西暦「2000年」ころ中国で作成された『説文解字』を原典として構成されていた。ところが『「紀元前1700前から栄えた殷墟の遺跡が発見され発掘現場から『甲骨文字』が出土するとともに当時の文化の様子が浮かび上がった。白川静先生はその発掘現場に出向いて、漢字の語源を遡った。殷墟の発見がなければ真の語源は世に出ていなかった訳だ。
現代社会を眺めると、言う・告げるは嘘ばかりがなんと多いことか。昨日の国会での『耐震偽造問題』の参考人陳述でも嘘と責任逃れの答弁ばかりに終始した。もしもあれが神様への説明、報告だとしたら神様はさぞかし驚かれ、呆れ果てたことと思われる。相手が同じ人間だったらみんな平気で嘘をまくしたてる。国民の模範となるべき国会議員の公約と政治姿勢が嘘のかたまりみたいなものだから国民全体が嘘に汚染されてしまうのかも知れない。