T社長は1989年7月にわき見運転のトラックにはねられ66歳で急逝した。1977年から12年間のお付き合いだったが私にとって、その間にT社長から学んだものが今の私の魂柱となっている。
T社長は派閥対立で複雑な愛媛県の俳句界からその人望を請われ俳句協会の副会長を務め社長業と掛け持ちで多忙極めた方だったが頻繁に私と飲む時間をつくってくれた。
完成された人間にみられる透明感と優しさと人徳は傍に居るだけで幸せを感じるものだった。 身をもって教えられたことは言い尽くせないほどある。
社長は人に物を贈る時、一番良いものを贈る。私の誕生日にモンブランの万年筆をプレゼントしてくれた。『私が気に入って使っていたものです』と説明された。3本お持っておられたがご自身が愛用していた一番高級なものを惜しげもなく・・・。
その後社長の還暦のお祝いに私は戴いたものより少し高級なモンブランの万年筆をお贈りした。
T社長との話はまだまだある。私が花瓶の絵を描くのに苦労しているのを知って「焼き物の本を準備しているから取りに来なさい」と電話をいただいた。お宅を伺うと陶器大全集40巻がダンボール箱に詰められていた。「私はもう読んで頭に入っているから全部差し上げます」。万事がこんな感じだった。金額で計算するとビックリするものだった。
そのような感じのお付き合いが12年間だったから、随分影響を受けた。 真似できるところは少しずつ実行して習慣づけていった。
戒田先生から戴いた一通の年賀状に書かれていた熊谷守一画伯の言葉が開いてくれた私の未来だった。
ではまた明日