一ケ月かけて、道のない800Kmを過ぎた頃、やっと道らしきものが見えてきました。何軒かの家もあります。
そのときです。茶色いカーテンが物凄い勢いでこちらに向かってきました。砂嵐です。テントを広げて襲来に備える時間的な余裕はありませんでした。私は一軒の家に走りよって、思わず手を合わせ、日本語で「入れてくれ」と叫びました。言葉が通じるはずはありません。
手を合わせたことで、私のいっていることが通じたのでしょうか。その家の人は私を快く招き入れて、おまけに毛布まで貸してくれました。
日本ではとても考えられないような藁葺きの粗末な家でした。壁はすきまだらけで、猛烈な勢いで砂が舞い込んできます。それでも救われたと思いホッとしたのか、私は毛布を被ってうずくまったまま眠り込んでいました。 その家がなければ、私は死んでいたかもしれません。
翌朝、私は丁寧にお礼をいって、その家をあとにしました。言葉は通じませんが、こちらの気持ちはわかるようです。私は自転車にのって走り出しました。すると家族は家の前で手を振っています。しばらく行って振り返ると、まだ手をふています。
日本ならすぐに角があったりして見えなくなるものですが、一面の砂漠で、平坦な土地ですから、遮るものがありません。どこまで行っても手を振ってくれているのです。
言葉が通じませんから彼らの名前すらわかりません。わかったとしても、住所もない土地ですから、手紙の書きようもありません。おそらく二度と出会うことのない人たちです。
それだけに余計に心に残りました。
続きはまた明日のお楽しみ・・・・・・・