△ 1995年1月25日に神戸から39人の皆様を緊急避難で松山にお連れして54日間の松山でお世話させていただきました。そして3月20日に皆様を神戸にお送りいたしました。その時のお別れの挨拶です。
お見送りにあたってのご挨拶 (原文のまま)
あっという間にお別れの日がやってまいりました。寂しさだけが残ります。子育ては、親が子どもを育てるのではなく、子供の世話をしながら実は親が成長するのだとよく言われます。 このたびは神戸から39人の皆様をお迎えして、お世話をさせていただきながら私たちの方が沢山のことを学ばせていただきました。
私たちにとっては被災者をお迎えしたのではなく39人の神様をお迎えしたようなものでした。毎日お世話をさせていただくほどに、ボランティアの皆さんの顔が次第に輝いていきました。50日前と今では全然顔が違っています。
「苦労は買ってでもしなさい」といわれますがまさにその言葉の通りだと感じました。ボランティアは他人のためにするのではなく、実は自分のためにするのだということを体験させていただきました。
わずか54日間のお手伝いでしたが本当にありがたい1日1日でした。1月25日に初めてお会いしたときは、全くの他人でしたが、今では一番親しみのある家族になりました。
今日までお世話をしてきたボランティアの皆様方の胸中は、おそらくここで中途半端にお見送りするより一緒に神戸に行って、ずっとお世話を続けたいと願っていると思います。 神戸にお帰りになってからが大変だとおもわれますが、こうして松山という第二の故郷が出来たわけですから息抜きに、いつでもお気軽に訪ねてください。
また帰神後の皆様方のご相談も引き受けますからご遠慮されずに何でも申し出てください。 神戸元気村のボランティア仲間が現地で活動を続けておりますから私たちの代わりに帰神後の皆様方の支援をしてくれます。
神戸とは少し距離が隔たりますが、松山の大応援団がいつも激励していることを思い出していただいて、これからの1日1日をがんばってください。命あるかぎり精1杯がんばりましょう。
ご縁ほんとうにありがとうございました。
愛媛リスポンス協会 柳原滿紘