世界人口はすでに65億人を超えた。この65億人の心の中にある「快楽神経」を興奮させるものの総称が「欲」なのだ。
そしてその「欲」の追求活動そのものが「人間生活であり」、「人生」そのものらしい。
私は学生時代に当時の有名な哲学者石丸悟平先生の講義を聞く機会に恵まれ先生と親しくお話を交わしたことがある。
『人生は欲望の追求活動である』と開口一番切り出され、純粋だった私は面食らった。講義終了後納得できないので先生に時間をいただいて友人数人と納得できるまで質問させていただいた。
アフリカに渡りその生涯を現地の黒人のために尽くしたシュバイツアー博士とかマザーテレサの人類愛にもとづく活動が「欲望の追求活動」なのか。600万人のユダヤ人抹殺と世界征服を企んだヒットラーの「欲望追求活動」と同じ次元に置かれるのかどうか疑問を感じたからだ。 先生は「すべてが欲望の追及です」とさらりといわれた。
シュバイツアーやマザーテレサの偉業を賛辞する人々の気持ちは分かるが、シュバイツアーもマザーテレサも世のため、人のためを意識して活動しようなんて考えたのではなく、今困っている人を何とかしたいと『自分のやりたいことを追求しただけ』と話された。
心の豊かさを求めるのも欲。 美しい欲望、醜い欲望、汚い欲望、それは欲望という多面体をいろんな角度からみているだけであり突き詰めればやはり『欲望』だという。
純粋だった当時の私には中々納得できる話ではなかったが、今ではよく分かる。
家庭を愛することが隣の家庭との摩擦の原因になり、国を愛することが隣国との摩擦の原因になる。
『自分を豊かにしたい』『自分の家庭を良くしたい』『自分の国を良くしたい』この『良く』も『欲』も考えてみれば根源は同じになる。
よくよく考えると『欲』があるうちが人間らしいとも言える。出世欲、物欲、食欲、性欲、マスメディアに流れる三面記事を賑わす出来事の原因がすべて『欲』から発していてそれが『快楽神経』を興奮させる根源なのだ。
人間の創造性を除去しないかぎりなくならないが、創造性の質を高めるところに本当の『本物の生き方』があるような気がする。