① 働くことは、「人間の本能」だと考えてみる
働くことを、「人間の本能」だと考えてみると、どうなるでしょうか?
たとえば、私が大学での講義中に学生に書かせたレポートの中に、次のような文章がありました。
「人間は、働かないと、生きていけない。人間かな『働く』ということを取り除いてしまったら、何も残らないのではないだろうか。『働』という文字からも分かるように、『人が動く』
ことを『働く』というのだから、働くことは、人間のもっとも基礎的なものだと思う」
『私はかって、父に、『なぜ働くのか』と尋ねたことがある。父は、こう答えた。『働いている人をつかまえて、あなたはなぜ働くのか、と尋ねるのは、大変失礼なことである。働くというのは、何の理由もいらない、自然のことなんだからだ』と」
これらのように、世の中には、「人間が働くのは自然の現象の一種であり、働きたいと願うのは人間の本能である」と、強く主張する人々がいます。そして、働くことを「人間の本能」だと考えてみれば、「人は、なぜ働くのだろうか」という問いかけ自体が、あまり意味の無いものになってしまうのです。なぜなら、本能というのは、「生き物として、無意識のうちにとってしまう、ごく自然な行動」だからです。
したがって、「自分は、異性を愛したくなるのと同じように、人間の本能として仕事しているのだ。そこに、それ以上の理由など無い」と考えれば、気持ちが楽になってくることでしょう。
飯田史彦先生の「働くことの意味がわかる本」より抜粋
明日は、
働くことは「神様のご意思」だと考えてみる
をお楽しみに・・・・・