働くことは、「タコの嫌いな人がタコ焼きを食べるようなものちと考えてみる
働くことを、「タコの嫌いな人がタコ焼きを食べるようなもの」と考えてみるとどうなるでしょうか?
当然ながら、タコの嫌いな人は、自分からタコ焼きを食べようとはしません。しかしいかにタコの嫌いな人であっても、何らかの事情で、どうしてもタコ焼きを食べに無ければならない事態へと、追い込まれてしまうことはあるでしょう。
たとえば、「愛する恋人が、自分のタコ嫌いをしらないままで、手作りのタコ焼きをプレゼントしてくれ、自分がおいしそうに食べるのを期待して眼の前で見ている」というような、極限状況が、これに相当します。
そのような時、タコの嫌いなあなたは「これは、決してタコではない、まるでタコのように見えるが、実はイカである」と、己に言い聞かせながら、タコ焼きを口に入れるしかありません。
職場においても、是と同じような苦境に陥ることが、すくなくありません。やりたくないこと、嫌なことを、やむ得ず担当しなければならないという状況に、つぎつぎと直面することでしよう。
そのような時、あなたは、 「これは、中にはタコが入っているように見える仕事だが、実はイカが入っているのである」と己に厳しく言い聞かせながら、けっしてなかみを開けて確かめることなく、さっと口に入れてしまうしかありません。「そうは言っても、やはり、この仕事の正体は、タコではないだろうか?」と疑い始めると、自分を苦しめるだけなのです。余計な心配は一切しないで、哲学的思考は完全に停止し、ただひたすら、「これは自分にとって、価値のある仕事に違いない」と信じ込みながら、担当業務にあたること・・・・・・・それこそが心の平安への近道といえるでしょう。
飯田文彦先生著「働くことの意味が分かる本」より抜粋