私が在籍した丸善石油合唱団は半端なコーラスグループではなかった。愛媛大会で勝ち抜き、 四国大会で勝ち抜き、全国大会に出るために猛烈な特訓を続けた。
私は昭和38年に高知市で行われた四国大会に初参加して優勝を味わい、その年京都で行われた全国大会に出場、合唱の虜になってしまった。
それから毎年四国代表として全国大会に出場させてもらった。しかも出張扱いであった。京都、岡山、仙台、東京、鹿児島、大阪と夢のような舞台に立つことが出来た。
蝶ネクタイで初めて舞台に上がった時は両足がガタガタ震えて、喉が緊張して暫くの間、声が全く出なかった。
練習はいつも狭い会議室で、しかも観客がいなかった。ところが全国大会の会場は大きな会場で観客が超満員。
指揮者を見ていても、その後ろにギッシリの観客の顔が見えて指揮棒が目に入らなかった。