上智大学名誉教授 渡部昇一氏 歴史の教訓の続き 「致知」11月号より抜粋
最初に はつきりと申し上げておく。日本が東京裁判を受諾したことは1度もない。サンフランシスコ講和条約はもちろん、その他どのような機会にでも、である。
麻生氏は、サンフランシスコ講和条約の第11条のことを言っているのだが、確かに当時の外務省が翻訳したものでは、日本は極東国際軍事裁判所つまり東京裁判を受諾する、となっている。これは誤訳である。英語の原文では、日本は東京裁判の「諸判決を受諾し」拘禁されている者の刑を執行する、となっているのだ。日本が受諾したのは東京裁判そのものではなく、東京裁判が下した諸判決なのである。
これはどういうことか。世間一般の常識として、よくこういうことがあるのではないか。裁判には不服で、とても承服できない。しかし、いつまでもゴタゴタしていてもきりがないので、裁判所の言う罰金を支払ってケリをつける。だが、これは裁判を認めたということでは決してない・・・・。
まして東京裁判で死刑の判決を受けた7人にたいしては、すでに刑が執行されてしまっているのだ。これに文句をつけたいのはやまやまだが、それを言ってはケリがつかないから東京裁判は受け入れないが、東京裁判が下した諸判決を涙を呑んで受諾したのだ。
アメリカをはじめとする連語国側も、このことはよく承知していた。だから、講和条約の第11条はこれで終わりではなく、次のような後段がつけられている。それは、日本が勧告し、東京裁判に代表を出した国の過半数が同意すれば、A級戦犯とされ、禁固刑などの刑に服している人たちを放免できる、というのである。それによってA級戦犯などはなかったことにしましょう、というわけである。
先に私は、講和条約第11条の外務省訳は誤訳だと言ったが、誤訳はしても当時の外務省は第11条の趣旨を性格に把握していた。だから、日本は早速関係国に、服役中のA級戦犯とされた人たちの放免を働きかけている。
そして、これに過半数の国が同意した。そこで日本は戦犯はなかったという手続きを取り、A級戦犯とされた人たちを放免した。
ここが肝心なところである。これによって、A級戦犯なるものはなかったことになったのだ。国内的にはもちろん、国際的にも、である。
東京裁判に代表を出した国の過半数が放免に同意したという意味は、A級戦犯はないことを認めた、ということなのである。
このことを日本人はしっかり認識しなければならない。
続きはまた明日・・・・・