坂村真民先生宅を訪問し『対面五百生』の出逢いをされチヘット式お別れをされる老師
「致知」1994年4月号に『念ずれば花ひらく』特集に掲載された記事から (続き)
仏法東漸(ぶっぽうとうぜん)
私が留学のためにハワイに向かったのは、昭和35年8月。いまなら成田から外国へはあっけないぐらいの時間ですが、当時は横浜港から船です。
丁度台風がきていて、港には雨混じりの風が吹きつけ、荒い波が立っています。そのなかを、私は親兄弟や仏道の師に見送られて出発しました。
当時、ハワイはこの世のパラダイスのようにいわれていました。確かにそうなのかもしれません。ところが私にとっては地獄のようなところでした。
ハワイを地獄と感じさせた原因は、私自身お金がなかったからです。満足な食事にもありつけず、腹が空いてしょうがないのです。
人間、腹が空くと心細くなるものです。でも、その心細さを癒してくれる友人もいません。ホームシックにかかり、早く帰りたいという気持ちばかりが募ってきます。そんなときのことです。友人から一通の手紙が届きました。そのなかには写真が同封されていました。 私が横浜港を出発したときの風景を友人が撮影したものです。
その写真の一番手前には風雨の中、傘をさして立っている中川宗淵老師が写っていて、そのはるか向こうに、私が乗った船が小さく霞んでいます。
私の胸は震え、そこに言葉はありません。というのは、船が小さく霞むまで立ち尽くしていてくださる中川宗淵老師の姿に、「がんばれよ」「しっかりやれよ」という声を聞いたのです。
早く帰りたいなど、恥ずかしい。ホームシックにかかるなど、まったく申し訳ない。「しっかりやらなければ」と私は心から思いました。まさに<面はずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず>です。このサイレント愛語が私の留学生活の支えとなったのでした。