郵政民営化・市町村合併・・・・何かいいことありそうな政策に見えたが蓋を開けてみるととんでもないもののようだ。
嵐の海で親船が危なくなった。親船を守るために、乗客をボートーにのせて次々と切り離していった。そのボートには少しの食糧は積んでいたがそれも僅かな量だ。
ボートには小さなエンジンさえなく動力は人力、そして行く先を決める地図もなく、レーダーもなく現在位置を特定する測定機器もない。
これが切り離され見捨てられた陰の部分だ。光りの部分はまだまだ可能性があるがそれもやがてまた不要な部分が切り捨てられていく。
セブンイレブン、ローソンがあるような町が残ることができる最低の条件らしい。小さな村にはコンビニがない。そのようなところは人が住むところではないらしい。
政策には嘘が多い。本音と建前の使い分けがあり、選挙が絡むとさらに複雑になる。選挙の前には増税をやらず、終わってから知らん顔で増税を実行するから始末が悪い。
それでも日本人は怒らない、文句を言わない・・・・・またか、またか・・・・のあきらめなのだ。
リゾート開発、村おこしの掛け声が大きくなり日本中の隅々まで希望の光りが広がったところで水を浴びせられて今度は切り離し。
私の友人の田舎も例にもれず厳しい現実にさらされている。沈没しつつある町と止む無く合併したため足を引っ張られて共に沈みつつあるという。
「あと3年は大丈夫だったのにそれが早まった」と危機感を持っている。
ボートに乗り移った中には漕ぐ力の無い老人ばかりのグループが多い。現代の姨捨山(おばすてやま)に姨捨がはじまった感じがする。
美しい日本づくりの声が空しい。美しい日本とは姨捨ではなく、親孝行のはずだ。