砂漠の嵐作戦と名づけられ軍事関係者はバグダッドなんか駐車場にしちまえ!!と息巻いた。
■ブッシュ大統領(父親)がペルシャ湾侵攻(湾岸戦争)の火ぶたを切ったとき、国民はすばやく事態を理解した。大半の人びとが戦争に反対だったので、アメリカの歴史上例を見ないスピート゜で反対運動がわき起こった。
■開戦後すぐに、サンフランシスコとワシントンD.C.で数十万もの人びとが反戦デモをおこなった。
■ブッシュ大統領(父親)は、戦死者の数が増えないうちに戦争を終結させないと、国民の強い反発を買うことを充分に分かっていた。だから、イラクが反撃せずに撤退を決め、イラク側だけに大量の戦死者が出ただけで戦争が終わったとき、ブッシュ大統領はご満悦だった。
■アメリカ政府の一番恐ろしい敵は、アメリカ国民の声なのだ。10万社を超える企業が、国防総省というエサ工場でエサをあさる。その巨額のお金のほとんどは、ほんの一握りの企業に流れていくのだ。
▲1999年度国防総省の契約外車と金額
ロッキード(127億ドル) ボーイング(116億ドル) レイセン(64億ドル) ゼネラルダイナミックス(46億ドル) グラマン(32億ドル) ユナイテッドテクノロジー(24億ドル)etc
■ベトナム戦争の大失敗は、国民の間に反軍国主義的感情がひろがった。政府関係者は、こうした傾向を嘲笑して、“ベトナム症候群”と命名した。
■イラクからの無傷の撤退でブッシュ大統領(父親)は、“これでやっとベトナム症候群を完全に追っ払った”と自画自賛したのだ。
■ジョージ・W・ブッシュ(息子)は、父親の戦果を憶えていて柳の下の二匹目のドジョウを狙って大失敗をした。そしてベトナム戦以上に戦火をイラクから世界に広げていった。
▲ディック・チェニー(当時の副大統領)は対テロ戦争を“この戦争には終わりがないかもしれない。少なくともわれわれが生きている間には・・・・・・。さらに、終わりのないこの戦争には、テロリスシへの万全の備えが必要だとし、“アメリカ史上初めて、最大規模の死傷者が国内で予想される。その数は海外派遣する兵士の死者数を上回るだろう。